てまえみそ

わたしの好きなもの

私が思う「悟り」

 

3年前の同じ日にアメブロに投稿していた記事。

時を経て読み直したら、良いこと考えていたジャン♪ と思ったので、こちらへリブログします。

 

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私が思う「悟り」

 

 

悟りとはとてつもなく大きな山を征服するようなものなのでしょうか?


いえいえ。
悟りたい=大きな山を登りたい、と思っていた私が到着した場所。
それは日々のこの一瞬の中にありました。


悟りとは、今、この瞬間の気付きの中に存在するもの。


だから、うまくいかない現象が起きれば起きるほど、
悟りのチャンスがゴロゴロと転がっていることになります。


そして、終わりません。
人は悟ったら、また次への悟りへ向かいます。


私たちが生きていることが悟りそのものと呼べるのかも知れませんね。


だから、悟りたい人はそのことにより気付いていけば良いし
悟りたくない人も結局、悟っていることになるのだから
悟りというものさえも、本当は存在しないってこと。


ただ、起こるべくして起こることが起きるだけ。
それが事実だから、うまくいかせよう、なんて思う必要もない。


そこで、自分もいない、他人もいない。
そう思うことは心を楽にします。


だけど、これでは答えがあってないようなもの…。


気付きに到達するまでのプロセス。
ここにはやっぱりいつも感動がある。
そのわくわくが好き。


だから、まだまだ、自分がいて、他人がいる。
そんな幻想の中にいる自分を外せません。


こうして私が「わたし」というものを楽しんでいる…?


思考が過去や未来に飛んでは、あ~でもない、こ~でもない、と考えて
昇華できない感情に気付いていく。


それぞれのストーリーの中で、彷徨い続ける旅。
これも悪くはない。


そう思うことで私は前へ進んでいるような気になって
今日も心穏やかに進もうと思う自分を感じることができるのかも知れない。


うん。
やっぱり楽しんでいるんだな。きっと。

 

 

 

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