雑巾がけをする暮らし

平和なこと、豊かなこと、愛のあること、地球のことを創造しよう

繋がっている

 

私の大好きな人に、ハートの中にはいつもインドの神様がいるクリシュナさんと呼んでいる人がいるんだけど、

彼女が言ってた。

 

「私、目の前の物を見ると、部品の一つひとつに目がいっちゃうの。

例えば、椅子があったとしたら、その素材、足とつながっているネジ、ボルト、細かい部品の数々は、どんな人たちの手を介して出来上がったのか。

その人たちがどんな仕事をしてきたのかな、って考えるだけでうれしくなっちゃう」

って。

 

おもしろい話だなぁ~と思って、たぶん、私の目は真ん丸くなっていたと思う。

 

無機質な目の前のモノも、見方を変えれば、そこに明らかに意識があることがわかる。

 

それは決して偶然ではなくて、そこに存在することに意味があるように思えてくる。

 

そして、感謝の気持ちが自然と湧いてくる。

 

 

以前、私は摂食障害の症状に悩んだ時があって、その時は、自分が口にする食べ物を思いっきり罪悪感を持っていつも眺めていた。

 

何の罪もない目の前の食べ物に否定的なエネルギーを乗せ、嫌々、口にする。

何も悪いことをしていないのに、食べ物にしたらエライ迷惑な話だ。

 

勝手に私の身体に悪いとレッテルを貼られ、嫌われたまま私の身体の中に入れば、負の連鎖が延々と続いていく。

痩せたくても痩せられない。

食べたらすぐに体重が増える。

 

当然だよね。

そう思って食べているのだから。

こういうことを悪循環と呼ぶのだと思う。

 

そして、ありとあらゆるダイエット法を試し、リバウンドの渦に飲み込まれていったのだけれど…

 

私の負の連鎖を断ち切ったのは、誰かのダイエット法や食事療法ではなく、ダイエットそのものにフォーカスすることを私がやめたこと。

 

食べてはいけない、のではなくて、食べたいから食べるんだ、と食べるという行為を自分に許可していくと、いつの間にか、「食べ過ぎ」というラインがぼんやりと見えてきた。

 

そこに、おいしいものが食べられる、という感謝をのせると、食べ物が私に意地悪をすることがないことに気付き、そこから壮大なロマンが広がっていく。

 

目の前にある食事

お店に並ぶまでに、並べた人、運んできた人、パックする人、検査する人、育てた人、世話をした人、耕した人、環境もお天気も関わって、私の手元にくるまで、それを売ってくれた人、買うことのできるお金を稼いでくれた主人…

 

たった一個のパンでさえ、どれだけの人たちと私は繋がっているんだろう。

偶然ではないよねぇ~。

そしてこのパンを選んだのは私。

 

と、必然的にいつも上機嫌になってしまうのだ。

 

そんな物の見方をすると、同じものでも見ている風景が全く違って見えるからおもしろい。

 

人は一人では生きていない。

 

何より、ここに私がいるという事実さえも、両親がいて、それぞれの祖父母がいて、またそれぞれの親がいて、またまたそれぞれの親がいて…とずっと繋がってきているんだもの。

 

だけど私は日常生活の中で、そういう繋がりをすぐに忘れちゃう。

 

だから、クリシュナさんのように感謝が習慣にはなっていないのだけれど、時にはじっくりとその繋がりを味わって思い出していくことは大切だなぁ~と思っている。

 

特に自分を罰したくなる時は、感謝を忘れている時なんだ。