雑巾がけをする暮らし

シンプルに暮らす…ミニマムな生き方へ

おばちゃんになりたくない

 

もう十分、おばちゃんの年齢街道を順調に進んでいるのですが…

「おばちゃんになりたくない」

私は今でもその気持ちがとっても強いことに気が付きました。

 

その気持ちが一番、強かったのは30代後半から40代前半。

今ではもう知る人ぞ知る存在になってしまった「世にも美しいダイエット」本に夢中になり、かなりストイックな体質改善に挑戦したことがあります。

 

それがきっかけでお酒はすっかりやめました。

お米もしばらくの間、口にしませんでした。

糖分を排除していましたので、お砂糖絶ちをしていました。

お水と塩と青菜を取り、その頃の私のエネルギー源はバターとオリーブ油でした。

 

この食餌療法は私にとても合っていたようで、お約束がきちんと守れていた時が、人生の中で一番、頭も身体もスッキリしていたように思います。

 

だけどね。

お約束事が多すぎて、人付き合いも制限され、ダメだしを自分に課すようになり、やがて限界を迎えます。

 

その反動はありとあらゆるダイエット法に走り、どれも長続きすることなく、摂食障害という代償を伴いました。

 

これらの経験は、やればできるという自分への評価を得た一方、やりすぎると行き過ぎてしまう苦しみがトラウマとなって、私は目的をもって進むことが怖くなりました。

 

ダイエット迷走中、どんなダイエットが自分にふさわしいのだろうか?と探している姿は探求者そのものですね。

 

試しては続かず、また試しては続かずの繰り返しで、今に生きていなかったと思います。

 

今を楽しんでいたのなら、ダイエットそのものを楽しんでいたはずですから。

 

だって、確かにストイックなダイエットがうまくいっていた時は、楽しかったのですよ。

あまりにも過激な食餌療法だったので、そのダイエット法そのものを無謀だとか、身体に良くないと、周囲から批判されながらも、私は根拠のない信念を感じていたんですね。

 

それからは目まぐるしく私の生活の周囲が変化していくに従い、フォーカスしていくものも移り変わっていき、「おばちゃんになりたくない」という気持ちはすっかり忘れ去られておりました。

 

この間、この先は生きていけるのだろうか?という体験中は、不安にどっぷりと浸かっていたため、健康体でありながらダイエット探しをしていた自分が本当に贅沢で幸せな環境にいたんだな、と反省することもありました。

 

 

さて…

 

今、私は再び「おばちゃんになりたくない」という気持ちを抱いています。

 

今度はかなりゆるゆると取り組めそうな気がします。

 

そして、おばちゃんを否定するのではなく、私の理想のおばちゃんを創造しようと思っています。

 

決して情熱的ではありません。

真面目に取り組まないかも知れません。

 

でも、何が正しいのか?で判断しない分、私は自分にとって気持ちの良いものを選んでいけそうな気がしています。

 

実は、あの時、自分には合っていたと思うもの、それを信じてあげられなかった自分が、今でも少し悲しいのです。

 

今、再び、「おばちゃんになりたくない」という気持ちを感じて、それに向き合うことは、その時の悲しみを昇華させてくれるようにも感じています。

 

今度は魂の宿題に丁寧に向き合っていけるかも知れません。

とても長い準備期間だったように思います。