雑巾がけをする暮らし

シンプルに暮らす…ミニマムな生き方へ

「空しさ」の後ろにあるもの

 

どことな~く、心が冷めていて、

いつも本気になれない自分が私の中に長いこと居座っていた。

 

 

祇園精舎の鐘の声

諸行無常の響きあり

沙羅双樹の花の色

盛者必衰の理をあらはす

おごれる人も久しからず

ただ春の夜の夢のごとし

たけき者も遂にはほろびぬ

ひとへに風の前の塵に同じ

 

 

高校の古文の時間に暗記した

平家物語の冒頭の言葉が好きだった。

 

すべては春の夜の夢

すべては風の前の塵に同じ

 

そんな空しさを心の片隅にいつも感じていた。

 

「わかっている」「知っている」

そんな大人のフリをしていた。

 

たぶん、傷つきたくなかったから。

 

本気じゃないから、だいじょうぶさ。

私は傷つかないよ。

と心に保険をかけていたのかも知れない。

 

何だろね? これ。

 

前世でよっぽど、心折れる絶望感を味わったのだろうか。

 

 

さて

 

そんな私でも、分離が幻想であることを知り、

私の大事にしている想いに気付きながら

意識で生きよう、と思えるようになってから

心安らぐ時が多くなってきた。

 

 

心の平安

 

それは自分の中に神を感じる時

心静かに私の内なる静謐に100%、身を委ねている時

 

至福は静かにやってくる

 

あ~、私の出所はここ、ここ

 

神と一緒

私は愛であり光である

久遠の命

 

神とハグして一体感を味わっている時が、私が最も居心地よく幸せを感じる時なんだー。

 

 

それでも、

まだ時々、空しさだけが思い出される。

 

特に周囲が騒がしくなると、光は見えなくなってしまうようで

 ついつい、外側に引っ張られ、

優しい?私は向こうに合わせようとがんばっちゃうんだよね…。

 

 

そんな時間が長く続くと、いつも自分に自信がなく、ただ、空しさを感じているわたしに逆戻りさ。

 

 

一体、この「空しさ」はどうして起こるんだろう?

 

 

そうして、気が付いたこと。

 

「空しさ」の後ろには、いつも神がいる。

 

虚しいを味わった先に、光があり、

心の闇は光に解けていく。

 

 

私はただ待てば良いのだ。

神我がそのまま顕現されていくことを...。

じっと沈黙したまま待てば良い。

 

「空しさ」は、待つことにしびれを切らした頃に顔を出す。

 

そして私は、その度に神に近付くことを知る。

 

 

「空しさ」の後ろにあるもの。

それは神の優しさだった。