雑巾がけをする暮らし

シンプルに暮らす…ミニマムな生き方へ

家族ドラマ

 

今、私は、目の前で展開しているドラマを眺めている。

 

主役は80歳になった義母。

 

 

義母はこの1年の間に、少しずつボケ症状が出始め

ここへきて、急速に進行しつつある。

 

 

看護師としてつい最近まで現役として働いていたが

体力の衰えとともに、仕事の量を減らし、

それと同時にボケが発症した。

すると、張り詰めていた糸が切れたかのように

すべてに対する「やる気」がこぼれ落ちた。

 

「何もしたくない

ぼっ~としていたい」

これが義母の口癖だった。

 

 

そして今、義母の望みは叶えられ、

一日中、ぼっ~とする時間が与えられたので

ますます何もしなくなってしまった。

 

 

自由になったんだよねぇ~。

ごくろうさま。

それは義母が望んだこと…。

 

 

老人性と認知症の物忘れは、明らかに様子が違い、

認知症は、記憶が丸ごと、あっという間に、見事に抜け落ちる。

 

 

そんな義母を見ていて、感じることがある。

 

認知症の根底にあるものは、「寂しさ」という感情なのではないかな?

 

 

家族と暮らしていても、一人暮らしをしていても、

その人の生活環境が起因するというよりは

自分の中の「寂しさ」とどう対峙し、

最終的にどう受け入れていくのか。

と、同時にプライドをどう捨て去るか。

そのあたりの葛藤の落としどころが見つからず

すべてを忘れてしまいたい。

と、決意したのかも知れない。

だって、すべてを忘れてしまったほうが、楽だものね。

 

 そんな義母は意識だけがどこかへ飛んでいってしまったかのようだ。

 

肉体から義母の面影はどんどん消えていき、

目が虚ろのまま、子どもに逆戻りする。

 

これも一つのインナーチャイルドとの向き合い方なのかも?

 

 

そして、意識と肉体が分離している義母は、ふわふわしていて

しっかりと大地の上に立つことがない。

グラウンディングしていない、とはこういう状態だよね。

 

 

義母は息子たちとその家族に大きな課題を与えてくれたなぁ~と思う。

大きな役目を自ら引き受けてくれたんだなぁ~と思う。

できれば誰もがボケたくないのだから、

嫌な役目を進んで引き受けてくれたことになる。

 

 

そんな義母に感謝しよう。

 

長男と義母

二男と義母

三男と義母

三男の嫁と義母

四男と義母

そして長男の嫁である私と義母

それぞれがどう義母と向き合っていくのか?

 

 

テーマは同じだけれど、みんなの学びは違うから

私は私のまま、義母に向き合う覚悟を決めた。

 

 

私は、母がどんな態度を取ろうとも、どんな行動を起こそうとも、

そこにユーモアを見つけたいと思っている。

 

こんな考え方は不謹慎だろうか?

 

 

だけど、私に希望を感じさせてくれるのは

このドラマをわくわくしながら見ることなんだよね。

私はいつでも、やっぱり笑っていたいから。

 

 

お義母さんにたくさんの祝福がありますように。