雑巾がけをする暮らし

シンプルに暮らす…ミニマムな生き方へ

7000キロの旅を終えて

 

日常を離れた25日間。

 

ドイツのライプツッヒを出発し、

第1章は

ローテンブルグ~フランス・ストラスブール~パリ~モンサンミッシェル~ベルギー・ブルージュ~ドイツ・ケルン~デュッセルドルフをまわり、

第2章は

ミュンヘン~イタリア・ベネチア~アッシジ~ローマ~フィレンツェ~ミラノ~ドイツ・フッセンを周遊した7000キロの旅が終わった。

 

 

距離だけを考えると、日本列島を北海道から九州まで一往復したことになるらしい。

安全に旅を守ってくれた光とドライバーの主人に感謝。

楽しい時間をありがとう。

 

 

さて、この旅行は、義母の「家族みんなでドイツに行きたい」という希望から始まったのだけれど、旅の計画とともに認知症が急速に進んでいった義母は、旅の途中でリタイアしてしまい、第1章の旅を終えると、ひと足先に帰る予定だった二男である弟と一緒に日本へ帰ってしまった。

 

 

一年ぶりに再会した主人も、数年ぶりにドイツの地で再会した義母の孫たち、つまりは私の息子たちもその変貌ぶりには衝撃が大きすぎて、驚きを隠せなかった。

 

 

義母は肉体をこの世に残したまま、意識はもうどこかの次元へと移行してしまったのかも知れない。

 

 

遅かったな。

間に合わなかったんだ。

と、思う反面、これが全てにおいてベストなタイミングだったのだ、と信じている自分がいる。

 

 

さて、義母が急遽、帰ることになって、旅は義母と同居する3番目の弟夫妻と私たちの4人になったのだけれど、ここからは、みんなでドイツへ行くという義母の望みに最後までノーと言って反抗し、一人だけ日本に残っていた末の弟が大活躍することになった。

 

 

空港までの出迎え、留守中の母の面倒と折り折りの知らせ。

それがあったからこそ、私たちは安心して旅を続けることができた。

 

 

義母を優しくお世話してくれた弟たちに、心より感謝している。

ありがとう。

 

 

そしてお義母さん。

姿を変えてまでも私たちのために必要なものを与えてくださって、ありがとうございます。

 

 

体が痛いと叫び、お風呂に入ることを嫌がり、洗濯機の使い方も忘れてしまった。

 

 

それで良いよ。

 

 

何もかも忘れてしまうならば、何も心配することなく、ただ、少女のままに、せめて今この瞬間に幸せだけを感じていて欲しい。

 

 

12月に私が日本に帰る時には、私のことを覚えていてくれるのだろうか。

 

 

どんな姿でいても、尊敬は変わらない。

あなたはずっと素晴らしい母のままです。

 

 

 

 

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